
小説『果て遠き丘』について(概要)
連載 … 週刊女性セブン1976年1月〜1977年3月
出版 … 集英社1977年6月
現行 … 集英社文庫(電子書籍)・小学館電子全集
旭川を舞台に描いた現代小説。両親の離婚で別れて育った恵理子と妹の香也子。恵理子はギターを弾く青年と知り合い、日々が充実してゆく。一方、香也子は偶然を装い、姉たちが開く茶会に闖入した。香也子の楽しみは、人を不幸に陥れることなのだ。
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〈作品を本で読みたい方は〉
・集英社文庫『果て遠き丘』(電子書籍対応)(出版社サイト)
・小学館電子全集『果て遠き丘』(出版社サイト)
・当文学館復刊シリーズ『果て遠き丘』(上・下)(三浦綾子記念文学館WEBショップ)
〈作品を朗読で聴きたい方は〉
・当文学館オーディオライブラリー「果て遠き丘」朗読:七瀬真結
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作品本文の冒頭
「春の日」(一)
五月も十日に近い日曜の午後。
五分咲きの山桜が、初々しく咲く児童公園の前を過ぎて間もなく、藤戸恵理子は小又川の畔に出た。川といっても、幅一メートルほどの流れで、それでも両岸の間は十メートル余りある。五月の青い空を映して、川はきらめきながら流れている。
この川を隔てた向こうは、一万五千坪ほどの工場地帯で、旭川木工団地と呼ばれている地域だ。家具・建具を製作する工場が十五、六、それに附帯する倉庫、平家よりも高く積まれた乾燥材などの間に、寮や住宅も散在する。
対岸の道路には、トラックや乗用車が幾台となく駐車し、絶えず響く機械のうなりにも、充実した活気がみなぎっている。
が、恵理子の立つ、川一つ隔てたこの道には、いま、車はおろか、人影もない。川に向かって、小ぎれいな住宅の、赤や青の屋根屋根が、途切れ勝ちにひっそりと並んでいるばかりだ。川を境に、静と動の世界がある。それが恵理子の心を惹く。
歩きながら恵理子は、切れ長な黒目勝ちの目を上げて、行く手の畔に立つ数本のイタリヤポプラを見た。道の上に大きく枝を張り出したポプラの新芽が、けぶるように美しい。
あのポプラの右手に、恵理子の家があるのだ。
恵理子は土手の端の柔らかいよもぎをちぎって、形のいい鼻に近づける。よもぎの新鮮な、鋭い香りが恵理子は好きだ。恵理子はよもぎを手に持ったまま、ゆっくりと歩いて行く。買物袋の中には、頼まれもののスーツの生地がはいっている。恵理子は洋裁で家計を助けているのだ。
イタリヤポプラの下までくると、恵理子はポプラの幹によりかかって、まだ真っ白い大雪山を眺めた。透明な青空の下に、大雪山の雪は新雪のように純白に見えた。街から帰ってくる時々、恵理子はこうして、そのすらりとした肢体をポプラの幹にもたせて、大雪山を眺める。
と、そのとき、恵理子は誰かの視線を感じた。ポプラから離れて、ふと対岸を見ると、タンポポの群れ咲く岸に腰をおろしてじっとこちらを見ている青年があった。十メートル離れたこちらからも、その眉は秀でて見えた。白いワイシャツの姿が清潔な印象を与えた。
青年はギターを膝に抱え、じっと恵理子を凝視していた。恵理子はなぜか、いまだかつてないときめきを覚えた。が、恵理子が視線をそらす前に、青年の視線がそれた。恵理子は、その青年の横顔に目を当ててから、ポプラのそばを離れた。
「茶道教授 藤戸ツネ」と書いた看板のかかっている黒塀の門をはいるとき、恵理子はふり返らずにはいられなかった。再び青年が恵理子を見つめていた。恵理子は思い切って会釈をした。青年が軽く手をあげた。ただそれだけのことだった。が、恵理子の胸は急にふくらんだ。その青年には、いままで誰にも見たことのない何かがあった。それが何であるかを、恵理子は正確に言いあらわすことはできなかった。
玄関までの、五メートルほどの道の両側に、ピンクの芝桜が咲き、庭のつつじもいまが盛りだ。草一本生えていないのは、母の保子の手入れだ。
玄関の格子戸をあける前に、恵理子はいつものように、服のちりを手で払い落とす。今朝着替えたばかりの、薄いグリーンのスーツが、恵理子によく似合う。バッグから紙を出し、恵理子は靴を拭く。そして、敷かれてある靴拭いで、靴の底を十分に拭う。万一これを忘れると、たちまち母に、
「汚いわねえ」
と、言いようもない嫌悪をこめた声音で叱られるのだ。
静かに戸をあける。鈴がリンリンと澄んだ音を立てた。
靴は一ミリの隙もないように、きちっと揃えてあがる。いつものことながら、恵理子は、母と別れた父の橋宮容一の心情がわかるような気がするのだ。
十二畳の居間に、母の保子はテレビを見ていた。
「ただいま」
声が聞こえたのか、聞こえないのか、保子はふり返りもしない。淡いみどりの博多帯を、粋に結んだ保子は、横ずわりになっていた。そのふっくらとした腰の肉づきが、四十八の年齢より、四つ五つ若く見せている。保子は軽く口をあけ、まばたきもせずにテレビを見ている。あまり高くも低くもない鼻にも、片手を畳についたその指のひらき具合にも、女らしさが漂っている。
テレビの中では、若い女性が海べに立って、去って行く男の姿を見つめている。その女性の白い着物の裾が風にゆれ、目には涙がいっぱいにたたえられている。男の足跡は打ち寄せる波にかき消されていく。
「お母さん、ただいま」
「あら、帰ってきたの」
保子はすっと手を伸ばして、テレビのスイッチを切った。時々保子はこんなことをする。
「なんにもおもしろいものがないわね、日曜は」
たったいま、自分では熱心に見ていながら、保子はいう。その母の気持ちも、恵理子にはわかるような気がするのだ。たぶんこのドラマの中には、娘には知られたくない何かが隠されていたのだろうと、恵理子は察した。
「帰ってきて、うがいをしたの? 手は?」
「まだよ」
「汚いわねえ」
恵理子は首をすくめながら、洗面所に行った。何をいわれても、今日の恵理子にはあまり気にならない。いましがた自分を見つめていた青年の顔が、恵理子の胸を明るくしているのだ。蛇口をひねって、ていねいに手を洗い、口をすすぎながら、恵理子はまた父のことを思った。
母が父と別れたのは、父に女ができたからだと聞かされていた。もう十年も前の、恵理子が十三のときだった。ようやく少女になりかけたその頃の恵理子は、少女の潔癖さで、父を許すことができなかった。母につれられて、恵理子は父と妹の香也子と別れた。
が、近ごろは、なぜか時おり父がふと懐かしくなる。母の潔癖は異常で、小さいときから母にしつけられて育った恵理子でさえ、閉口することが幾度もあった。
母の保子は、朝起きるとすぐに掃除をはじめた。そのときに着た着物を、そっくり着替えなければ食事の用意をしない。台所はいつも、モデルルームのキッチンのように、ぴかぴかに磨き立てられていた。口の悪い従兄の小山田整がいったことがある。
「ぼくはね、この家の台所で、朝晩食事の用意がされているということを、絶対信じないね。この台所はね、恵理ちゃん、まだ一度も使われたことがない台所だよ」
客が帰ったあと、母はその客のさわったとおぼしきものいっさいの消毒をする。玄関の戸、建具の取っ手、湯のみ茶碗、茶卓、座布団、歩いた畳、いっさいがその対象となる。
いま思うと、外から帰ってきた父が、洗面所で、家中にひびくような音を立ててうがいをしていたのは、自分がいままさしくうがいをしているぞという母への誇示と、やりばのない腹だたしさの表れだったのかもしれない。別れた父は、母とくらべて容貌は劣るが至極おっとりとした女と再婚した。親戚の女たちが、
「こんなきれいな、働き者の奥さんの、どこが悪くて離婚したのだろう」
といっていたのを、恵理子は忘れてはいない。
恵理子は洗面所を出ると、二階の自分の部屋にあがって行った。まだあの青年が川岸にいるかどうかを確かめたかった。部屋の窓に寄ったとき、恵理子は、ハッとした。青年が若い女性と肩を並べて、川の畔を歩いて行くうしろ姿が見えたのだった。