
小説『続泥流地帯』について(概要)
連載 … 北海道新聞日曜版1976年1月〜9月
出版 … 新潮社1977年3月
現行 … 新潮文庫・小学館電子全集
北海道上富良野町を舞台に描いた現代小説。明治30年の入植から30年後。開拓農家の石村一家は、市三郎・キワ夫妻と息子家族で懸命に農を営んでいた。孫の拓一・耕作兄弟の成長譚を軸に、十勝岳の麓、大自然の中で繰り広げられる青春群像劇。
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ID:7251【直筆原稿(光世)】三浦綾子『泥流地帯』全647枚
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作品本文の冒頭1章
[村葬]
一
大正十五年七月十一日──。
朝からじりじりと暑い日である。今、上富良野尋常高等小学校の屋内運動場では、泥流に流されて死んだ人々の村葬がとり行われていた。運動場の左手の板壁にかかった大きな柱時計は、九時二十分を指している。村葬が始まって二十分である。石村耕作は、母の佐枝、兄の拓一と共に、千五百の会衆の中にいた。七十名を越える各派の僧の読経が、会場いっぱいにひびく。札幌や旭川から来た僧もいると聞いていた。
(じっちゃんも、ばっちゃんも、姉ちゃんも、良子も、みんな死んだ)
耕作は、祭壇の上の白木の棺をみつめた。棺の中には、百四十四名の遺骨が納められている。棺の両側に、白蓮の造花が数対、棺の前にも、白い四華が一対飾られ、そして供物が三対供えられている。祭壇はすべて白布に覆われ、太いローソクが朝の光りの中にほのかにゆらめている。香の煙が、そのローソクにまつわるように漂い、会衆はしんとして、只読経の声に聞き入っている。
耕作は、まだ悪い夢を見ているような思いで、白布に覆われた祭壇を眺めた。ふいに、良子の耳たぶのほくろが目に浮かんだ。良子の遺体を収容所でみつけた時、額も鼻も傷だらけで、顔がひどくむくんでいた。その傷ついた鼻から、血がたらたらと流れた。親兄弟が行くと、死体は鼻から血を流すと聞いていたので、良子かも知れないと思ったのだ。そしてその時、良子の右の耳たぶには大きなほくろがあったことを思い出し、耕作は耳たぶを見た。果してそこにはほくろがあった。ほくろが良子であることを知らせてくれたのだ。もし、ほくろがなかったら、どう見分けてよいかわからぬほどに、良子の顔形は変っていた。余りにもむごたらしいことであった。
(苦しかったべなあ)
耕作は傍らにいる母の佐枝を見た。佐枝は、五月三十日に、何年ぶりかで帰るという便りをよこしていた。母の佐枝は、夫義平の死後、市街の呉服屋で働らいていたが、髪結いになるために、耕作たち四人の子らを舅姑に預けて、村を出て行ったのだった。その後肺結核にかかり、佐枝はなかなか耕作たちのもとに帰ってくることができなかった。それがようやく、五月三十日に帰ると手紙をよこしたのだが、その六日前の、二十四日の十勝岳爆発で、耕作の祖父母も妹の良子も泥流に流されて死んでしまった。そして嫁いでいた姉の富も、火口に近い硫黄鉱業所の炊事場に勤めていて死んだ。
爆発の前の夜、良子は、母の帰宅の知らせを喜び、夜も寝つけずに、ぴょこりと床の上に起き上った。
「何だ、まだ、起きていたのか」
隣に寝ていた耕作が声をかけると、
「だってうれしいんだもの」
と、良子はうきうきと言い、
「母ちゃんてどんな顔? 写真と同じ顔?」
などと言っていた。兄の拓一が、
「良子も旭川まで迎えに行くべ」
と言うと、
「うれしいーっ」
と、ばたんと音を立てて、布団の上に寝ころがったのだった。良子は、髪結いになった母が、
「帰ったらすぐに、良子の髪を結って上げましょう」
と書いてよこした手紙を読んで、顔を真っ赤にして喜んでいたのだった。だが良子は、死顔さえ母に見てもらえずに、小さな骨箱に入ってしまった。そのことを思うと、耕作は妙に、母が恨めしいような気がするのだ。良子が死んだのは、沢の家々を押し流した泥流のせいだ。
耕作は山の上から見た泥流を思い出す。あの五月二十四日の夕方、突如、大砲の轟ろくような音がした。十勝岳の爆発ではないかと、耕作は兄の拓一と裏山に駈け上って見た。暗い雲が垂れこめ、雨にけぶる視界の中に、十勝岳は全く見えなかった。家の前で、
「何か見えるーっ?」
と良子が叫んだ。
「何も見えーん!」
拓一も耕作も叫んだ。が、そのすぐ後、耕作は見たのだ。沢の間から、黒い小山がぐいぐいと押しよせるようにせり出してくる恐ろしい光景を。その黒い小山は、一分と経たぬうちに、祖父母や良子をのみこんでしまったのだ。
山裾を削り取るように流れていたあの凄まじさは、今も耕作の目に焼きついている。それは、何ひとつ佐枝とは関係のないことなのだ。それがよくわかっていながら、
(せめて十日前に帰ってくれていたらなあ……)
と恨みたくなるのだ。もし良子が母に会っていたなら、どんなに喜んだことだろう。その喜んだ顔を思い浮かべて、耕作は母をなじりたくなるのだ。
その点、兄の拓一はちがう。拓一は、祖父母や良子が押し流されたのを見て、助けるために、ためらわずに泥流に飛びこんだ。太い木が何十本となくトンボ返りをして流されてくる泥流の中に。
「お前は母さんに孝行せ!」
と、耕作に言い残して激流に飛びこんだのだ。それなのに、佐枝に会った時、拓一は佐枝の前に両手をついて号泣しながらあやまった。
「母さん! すまんことをした。じっちゃんもばっちゃんも、良子も死なせてすまんかった」
と、本当に自分の責任でもあるかのようにあやまったのだ。そのあやまる拓一の姿を、耕作は、最初呆っ気にとられてみつめていた。
「兄ちゃんのせいでないべ」
そう言いたかった。そして、佐枝もまた、耕作が言おうと思った同じ言葉を拓一に言った。が、拓一は言った。
「俺がわるかった。ゆるしてくれ」
拓一は真底から責任を感じているようであった。
読経の声がますます高まってくる。あちこちですすり泣く声が聞えた。耕作の隣りで、拓一の膝の上にぽたりぽたりと大きな涙が落ちている。